さらば、わが愛〜覇王別姫〜

さらば、わが愛覇王別姫〜』

 

これを恋愛映画というには苦すぎる……

京劇の女形とその相手役の間のお話で、蝶衣(女形)の女とも男とも決めきれない曖昧で微妙な性が危なっかしくて余計切ないんだなあ

 

あまりに蝶衣が報われなすぎて苦しいので、盛大にネタバレしながらグッときたシーンを振り返るゾ

勝手な解釈おおいにあるよ

 

1、冒頭

はい。これラストまで見て二人の関係を理解すると、冒頭のシーンがあまりにしんどすぎて二度目が見られなくなる

文化大革命が終わって、二人(蝶衣と小樓)が何十年かぶりに同じ舞台に立つリハーサル(?)の場面。

ファンの一人「一緒に舞台に立つのは20年ぶりでは?」

小樓「21年ぶりです」

蝶衣が「22年だ」

小樓「彼と会うのも10年ぶりです」

蝶衣「11年だよ」

 

 

あ゛ーーーーーー蝶衣ーーーーー(哭)

小樓はね、多分そんなに会えなかった日々を気にしてないんですよ。10年20年なんて結構長い期間の中のたかだか1年って、漫然と生きてきたらそれほど気にならないと思う。でもその1年のずれを控えめながらもきっちり訂正する蝶衣よ…蝶衣は何年も会えない日々を痛いほど意識してきたからこそ、小樓がそれを適当に数えているのを黙っていられなかったのでは………つらい

勝手な推測だけど、この時の会話って極端に言えば「僕たち会うの一ヶ月ぶり?」「いや、34日ぶりだよ」みたいなことだよね????蝶衣の狂気を感じる…

そのあと笑って言い直す小樓を見ると、蝶衣の思いはおそらく全く伝わっておらずそれもつらい。

これから3時間、乗り切れるか既に不安である。

(もしかしたら、この時小樓が笑ったのは、蝶衣はよくまあ昔のことを細かく覚えているなという軽い驚きだったのかもしれない。人気役者になってから、二人が運を掴んだ張翁の屋敷での事を振り返るシーンで、小樓が「細かい記憶に強いのはお前(蝶衣)だ」と言ったことにつながるのかな、、、)

 

 

 

2、劇団で『思凡』の台詞を正しく言えないシーン

「16歳で私は尼僧に/緑の黒髪を剃り落としました/男して生を受け…」

この台詞、「女として生を受け」が正しいけど、小豆(のちの蝶衣)はどうしても女としてと言えない。自分は女形としての訓練を受けているという現実と、自分が男であって女ではないという意識の間で葛藤する。「明日打たれて死んだら…」と言っているので、明日も「男」と言うつもりなの小豆は?????

先生には「性別が混同するほど役になりきったのか」と怒られたけど、役の女への没入ではなく、役に男を引きずり込んでしまうというのが哀しすぎる………

折檻されて血だらけの手を、湯に浸けて膿んだら大変だと石頭(のちの小樓)に止められたのに、自分から浸ける衝動を抑えられないほど苦しかったのだと思う。

 

「せりふを間違えないよう自分を女と思え」

これが石頭がその夜小豆を励まし諭したときの言葉。小豆がこれ以上痛々しい姿になるのを見ていられなかったのかな。男としての自分を捨てることが、自分を守ることになる世界、不条理がすぎる……

それだけ小豆を気にかけていた石頭だからこそ、『思凡』を要求された時また台詞を間違えた小豆の口をキセルで血が出るまで乱暴したのだろう。石頭が「師匠に恥をかかせて」と言ったのは本心ではないように思う。というか、あの行動が、小豆が男を捨てる最後の機会を与えた優しさだったと信じさせてくれ………

 

直後に小豆は正しい台詞を言うということは、この時小豆も”自分の運命に責任を負う”ことを引き受けたということ解釈でいいのだろうか。

…だけど小豆は宦官に襲われた後のシーンで、人には運命があるとたしなめられても捨て子を拾ってるんだよね、自分も捨て子同然に劇団に取り残された境遇であることからの同情か、それとも自分は運命には逆らえないけれど、この子の運命は自分が変えてやりたいという最後の意地か、私にはよく分かりません…

 

 

 

まだ2つ目なの???これスターになってから書きたいことが山ほどあるから、一旦ここで切るべ